「噛む力(咬合力)」がなぜ健康長寿に重要なのですか?

噛む力(咬合力)は、人によって異なり、その差が健康寿命にも反映されることが、大阪大学の池邉一典教授らの研究で明らかになりました。噛む力の低下は、体にどのような影響を与えるのでしょうか。池邉先生にうかがいました。

咬合力はどのようにしてわかるのでしょうか?

咬合力は計測することができます。私たちが使っているのは、デンタルプレススケールという器具で、さまざまな大きさと強度のマイクロカプセルが塗布された、100ミクロンほどの厚さのフィルムシートです。これを口の中で噛み合わせると、噛んだ部分のマイクロカプセルが破壊されます。それをスキャナーで読み込み、専用のソフトで解析することで咬合力を測ることができます。

なぜ咬合力が低下するのでしょうか?

最も大きな原因は、歯の欠損です。歯周病やむし歯などで歯が抜けて、そのまま放置すると、じゅうぶんに噛むことができなくなり、咬合力が低下します。歯が抜けないまでも、虫歯で歯の形が変わったり、歯周病で歯がグラグラしたりすると、咬合力は落ちます。

しかし、むし歯を治療し、抜けた歯を義歯やインプラントで補強すれば、また噛めるようになり、咬合力も戻ってきます。歯がぐらついている人は、すぐに歯科で治療してください。

むし歯や歯周病は、ある日突然なるものではありません。予防には、きちんと歯みがきをするのはもちろんのこと、歯科での定期検診や、早め早めの処置が大切ですし、子どものころからの意識づけも必要と考えます。

咬合力の低下は、全身にどのような影響を与えるのでしょうか?

日本人の死因の上位を占めるのが、がん、そして心疾患・脳卒中などの脳血管障害です。また、要介護状態になる原因についても、最も多いものの一つが、脳血管障害です。つまり、動脈硬化などの血管系障害があると、死ぬリスクが高まって、介護状態にもなりやすいのです。

現在のような超高齢化社会では、単に長生きするのが目的ではなく、健康で長生きすることが重要になっています。健康寿命を延ばして、介護期間を短くすることが社会全体の課題といえます。

そこで、私たちが着目したのは、咬合力と栄養摂取の関係です。

咬合力が低下すると、食物繊維が多くて歯ごたえのある食品を避ける傾向があります。

逆に、軟らかいごはんやパン、麺など炭水化物の摂取量が増えますから、肥満になる割合が高まります。その結果、動脈硬化を起こしやすくなるのです。

また、噛みごたえのある肉を食べなくなると、たんぱく質の摂取量が減ります。たんぱく質には筋肉をつくるアミノ酸が多く含まれていますから、摂取不足になると運動機能の低下も起こります。その結果、転倒しやすくなったり、骨折しやすくなったりし、関節系の疾患にもつながるでしょう。

私たちの調査では、咬合力の低下している人は、歩行能力も低下していました。

さらに、咬合状態のよくない人は、認知機能に影響を与える緑黄色野菜や、DHA・EPAなどの不飽和脂肪酸を多く含む魚介類の摂取が低いことも、調査でわかりました。

咀嚼機能の低下で噛まなくなると、脳血流の低下を招きます。また、歯周病の炎症物質は神経炎症を招きます。こうしたことも、認知機能の低下につながります。

逆によく噛むと、神経伝達物質のアセチルコリンの分泌が促されて、認知機能の低下を防ぐのを助けます。認知機能の低下というのは、ある程度の年齢になれば誰でも起こることですが、よく噛むことで遅らせることが期待できるのです。

噛むことは様々な面から健康寿命を延ばすことにつながるということでしょうか?

はい、栄養のある物をきちんとよくかんで食べることができれば、要介護状態になるリスクを大きく低減できます。食べて適度な運動をするのがいちばんです。

口腔ケアをきちんとして十分に咀嚼できるようになれば、咬合力が上がって食生活も変化するでしょう。その結果、介護状態になる要因が減くるので、健康寿命が延びると考えらます。

いろいろな物が食べられるようになると、咀嚼能力はさらに向上します。高齢者でも筋肉を維持するためには、若者と同じ量のたんぱく質の摂取(1日あたり男性50,女性40グラム以上)が必要です。それをとれるだけの咬合力を保っていなければなりません。

私自身は、毎朝、サラダボールにいっぱいの生野菜を、よく噛んで食べるようにしています。それを15年間続けているおかげで、血液中のビタミン量を調べると、いずれも最高値を振り切るほどです。

「噛めるから大丈夫」と思っている若い人も、肉だけでなく緑黄色野菜や小魚・青魚も食べる食生活を心がけましょう。それが健康寿命を延ばし、歳を重ねても生活の質を維持することにつながるのです。

池邉一典(いけべ・かずのり)先生

大阪大学大学院歯学研究科 顎口腔機能再建学講座 有床義歯補綴学・高齢者歯科学分野 教授

1987年、大阪大学歯学部歯学科卒業。1991年、同大学院歯学研究科修了。1995年、同大学歯学部助手(歯学補綴学第二講座)。1998年、同大学歯学部附属病院講師(第二補綴科)。1999〜2000年、文部省在外研究員としてUniversity of Iowa(米国)にて研究に従事。2015年、大阪大学大学院准教授(歯学研究科顎口腔機能再建学講座有床義歯補綴学・高齢者歯科学分野)。2018年から大阪大学大学院教授(歯学研究科顎口腔機能再建学講座有床義歯補綴学・高齢者歯科学分野)。