噛むと脳が活性化する⁉ 噛むことと脳の関係とは…

監修:久保 金弥(くぼ・きんや)
名古屋女子大学 健康科学部 教授

近年さまざまな研究から、噛むことが脳を活性化させることがわかってきています。脳が活性化することによって集中力の向上、リラックス効果、ストレスの軽減などの効果がみられることが明らかになっています。では、噛むことで、実際の脳内にはどのような変化が起きているのでしょうか。そのメカニズムを詳しく解説します。

■口周りは脳とつながっている

食べ物を口に入れて咀嚼すると、咀嚼筋のほかにも、唇や頬の筋肉、さらに嚥下(物を飲み込む)時には舌筋、口蓋筋、舌骨筋群や咽頭の筋など、多くの筋が連動します。そのため、口の周りにはさまざまな神経が張り巡らされており、脳からの指令が伝わっています。また、口周りの神経は、食べ物を口に入れ咀嚼したときに、歯の根っこの周りにある歯根膜や舌などからの感覚情報や多くの筋肉からの情報を脳に送り返す働きもしています。このように脳と口の間でやり取りされる情報伝達と指令により、咀嚼時に噛む力や速さを変えることができるのです。

【噛んだ刺激はどこに伝わる?】

咀嚼をした時に、最も顕著となる脳の活性化は、大脳皮質(脳の表面部分)の感覚野、運動野、補足運動野のほか、弁蓋部、島、小脳、視床などでみられます。よく噛んで食事をすると、食感、歯と歯が接する感覚や味覚などの情報が、中継路である視床を経由して、感覚野や島、弁蓋部といった部分に届けられます。それらの情報をもとに、運動をコントロールする運動野、補足運動野、小脳などが活性化され、舌や頬を噛むことなく咀嚼運動が行われます。

【なぜ噛むと脳が刺激される?】

このように、よく噛んで食事をとると、視覚、聴覚、味覚、嗅覚、触覚という五感の情報が脳に送られます。口のなかは髪の毛が一本紛れ込んだだけでもわかるほど鋭敏な感覚をもっています。咀嚼をすることで、脳に多くの情報が送られ、脳の感覚系と運動系の間でさまざまな情報が飛び交い、同時に脳のあらゆる部位を活性化させています。

■噛むことによる効用

○認知力の向上

前頭前野は額の裏側にあり、大脳皮質の約30%を占める大きな領域です。コミュニケーション、感情の制御、記憶のコントロール、意思決定など高度な働きを担っています。
その前頭前野の活性化が、しっかりと意識して噛むことによって誘発されるのです。それは、高齢者において顕著で、特に右側の前頭前野の活性化は、認知力の向上につながるといわれています。


※参考文献:『噛むチカラで脳を守る』(小野塚實・健康と良い友だち社)p67

○記憶力の強化

噛むことは、脳の中心に近い場所にある「海馬」という部分も刺激します。
海馬とはタツノオトシゴの別名で、形が似ているところからその名前がついています。脳に入った情報はいったん海馬で整理され、その後大脳皮質にファイルされていきます。海馬は「記憶の司令塔」と言われる重要な部分です。
また、海馬には、位置や場所、方向などを把握する空間認知能力もあります。海馬の機能が落ちると空間認識能力も低下するため、自分がどこにいるのかわからなくなります。
そのような海馬の機能が、噛むことで活性化されるのです。ガムを噛んでもらいながら記憶テストを行うと、高齢者の海馬が活性化され、ガムを噛まないときよりも記憶テストの成績がアップしました。

【歯を失いうまく噛めなくなるとどうなる?】

海馬では、毎日新しい神経細胞が生まれています。歯を喪失して数が少なくなると、海馬で誕生する神経細胞数が少なくなるだけではなく、生まれた細胞の寿命も短くなります。また、神経細胞死が増えて海馬の神経細胞が減ってしまいます。ヒトを対象とした調査や動物実験で、歯の本数が少なくなると、海馬の容積が減少することがわかっています。
しかし、「歯がほとんどなくても、入れ歯を使用している人は、入れ歯を使用していない人よりも認知症の発症リスクが低い」という報告もみられます。
もし歯を失ったとしても、入れ歯を活用するなどして、噛む力の維持に努めることが大切です。

○ストレス・不快感の軽減

脳内には、扁桃体と呼ばれる、視覚や聴覚など五感から入った刺激が、快か不快かを判別する部位があります。ガムなどを噛むと扁桃体の活動が抑えられ、不快という信号が大脳に送られにくくなり、ストレスを感じにくくなります。
ヒトを対象に、嫌な音を聴いてもらいながらガムを噛んでもらう実験があります。嫌な音を聴くと、血中のストレス物質が増え、扁桃体の活動が上昇しました。
ところが、嫌な音を聴きながらガムを噛んでもらうと、血中のストレス物質の量が減少し、扁桃体の活動がガムを噛んでいない場合に比べて低下したのです。

○幸福感の増加

『幸せホルモン』とも呼ばれ、心の安定に欠かせない脳内物質「セロトニン」は、咀嚼により増加することがわかっています。分泌量が減少すると、不安になったり落ち込みやすくなったりするほか、目覚めも悪くなり、集中力も低下します。「セロトニン」は、一定のリズムで同じ動きをくり返す『リズム運動』を行うと活性化します。物を噛むという行為は、誰でも日常的に行うので、最も手軽なリズム運動が、“咀嚼・噛むこと”といえます。

「ストレス」「セロトニン」に関する記事はこちら
『すぐできる脳内革命!噛むことでストレスフリーになる!?』

久保先生のポイント解説!

歯ぎしりがストレス軽減になる!?

睡眠中の歯ぎしりで悩んでいる方は少なくないでしょう。歯ぎしりは通常の食事で噛みしめるときの何倍もの力がかかっています。そのため、歯を支えている組織を破壊して、歯の喪失にもつながりかねません。噛み合わせが悪いことが歯ぎしりの原因の一つですが、最近では、ストレスが多いと歯ぎしりをするという考え方が一般的になっています。

一方で、歯ぎしりはストレスを軽減することもわかっています。私たちが行った実験では、ストレスを与えたマウスに爪楊枝を噛ませて歯ぎしりに近い状態をつくると、ストレスが軽減することが確認できました。つまり、ストレスのある人は歯ぎしりを必要としていると考えられます。
ただ、奥歯や前歯が激しくこすれるなど、大きな音がする歯ぎしりは歯を痛めてしまいます。音がしないような、犬歯を中心にこすれる歯ぎしりが理想的。大きな歯ぎしりが続くときは、マウスピースの使用を検討するなど、噛み合わせを調整する治療が必要です。

久保 金弥 (くぼ・きんや)

名古屋女子大学 健康科学部 教授
(2023年7月現在)

1986年、朝日大学歯学部卒業。1991年、岐阜大学大学院医学研究科修了。2000年6月、朝日大学歯学部助手。2001年4月朝日大学歯学部講師。2009年10月、星城大学リハビリテーション学部教授。2010年4月、星城大学大学院健康支援学研究科教授。2017年4月、名古屋女子大学家政学部食物栄養学科教授。2017年5月、名古屋女子大学大学院生活学研究科教授。2019年4月から名古屋女子大学健康科学部長。「咀嚼と脳の研究所」の所長も務める。