NHKテキスト「きょうの健康」にて掲載された、「めざせ8020」の記事をお届けいたします。

めざせ8020 第7回

口から始まる健康づくり

歯医者さんに行くのは、歯が痛くなった時か歯周病になった時、あるいは入れ歯が合わなくなった時、という方も多いのではないかと思います。歯医者さんから出てきて「削られた」「抜かれた」という患者さんが多いところを見ると、歯科治療はとてもマイナスイメージが強いようです。
しかし、近年の歯科治療は虫歯や歯周病の治療をするだけでなく、口の中を健康にすることで、心身ともに健康で豊かな人生を目指す方向へと変わってきています。
たとえば、歯周病の治療にしても、単に口の中のトラブルだと捉えるのではなく、全身の健康に関わる病気だと考えて治療するようになっています。歯周病になると歯ぐきから出血しますが、これは歯ぐきに潰瘍ができて血管が露出してしまうためです。歯磨きや固い食べ物などによって血管に傷がつくと出血し、歯周病菌が血管内に入り、全身を駆け巡ります。つまり、菌血症(血液の中に細菌が入っている状態)を起こしてしまうのです。重症の歯周病になると、心筋梗塞や動脈硬化、肺炎などを引き起こしやすくすることが報告されています。
歯周病と糖尿病の関係もよく知られるところです。歯周病は糖尿病を悪化させやすいのですが、歯周病の治療をして口の中の状態が改善されれば糖尿病も改善されるということがわかっています。このように、口の中の健康が生活習慣病などに影響していることを認識しておくことが大切です。
では、口の中の健康を保つために普段からできることは何かを考えてみましょう。
歯のケアはもちろんですが、身近なところでは唾液の分泌を促すことがあります。年齢とともに唾液の分泌量は減ってきます。唾液が減ると、食べ物が噛みにくく、喉も通りにくくなります。加えて、食べ物の食べかすを洗い流したり、口の中の細菌の増殖を抑えたりといったさまざまな唾液の働きが低下して、歯周病や知覚過敏、口臭などの症状が現れるようになります。そこで、下のイラストのような唾液腺マッサージを1日1回、実行してみることをおすすめします。マッサージをする場所は耳下腺、顎下腺、舌下腺の3か所で、それぞれ10回くらいが目安です。唾液腺を衰えさせないことは、健康維持のポイントです。


ほかにも、よく話すこととよく噛むことも重要です。いつも柔らかい食べ物を好む人は、ガムを噛むのもいいでしょう。自然に唾液が出るうえに噛む力もついてきます。このような日常の心がけに加えて、3か月に1回程度歯科医師を受診し、口の中の状態をチェックしておきましょう。

天野敦雄

大阪大学大学院歯学研究科長・歯学部長。口腔感染症の感染制御、予防歯科学、病原細菌の細胞内輸送を研究。日本歯周病学会、国際歯科研究学会などに所属。

8020さんのご紹介:発芽玄米に雑穀。よく噛んで食べるのは基本の”き“

永山久夫さん

年齢:85歳 歯の数:32本

食文化史の研究家として、執筆だけでなくテレビやラジオでも活躍する永山久夫さん。中学生のころから始めた剣道の影響で、今も素振りは欠かさない。素振りは体力維持だけではなく、とっさの判断力を養う脳のトレーニングでもあるそうだ。
「人生二毛作どころか、三毛作、四毛作」という永山さんは、人生を目一杯楽しむためには、噛むこと、そして毎日何を食べるかが大切だという。その食事は、噛みごたえのある発芽玄米にきびやアマランサスなどを加えたご飯を中心に、肉ならスジ肉、野菜は大きめに切って自然によく噛むようにしている。これらに、ピーナッツや果物を加えて、これからのワクワクするような人生の準備は万端だ。
永山さんの研究では、宮本武蔵や徳川家康などはしっかり噛むことで冷静さや判断力を養っていたそうで、永山さんにとって噛むことは人生の達人たちの教訓といってもよい。
「これからは100歳まで生きることができる時代になる。だから、80歳でも人生をあきらめない」。さらに、「努力すれば楽しいことができる時代なんだから、もっと勉強しなければ」と豪快に笑う。ポジティブな考え方と実践が、永山さんを若々しくしている。実際、永山さんは絵を描くことが好きで、いつか個展を開きたいという夢を持っている。だからこそ、健康な体を維持するために、噛むことは基本の〝き〟であり、これをおろそかにしてはいけないという。

NHK出版 NHKテキスト「きょうの健康」2017年5月号掲載

めざせ8020 第8回

しっかり噛めると運動能力はアップ

口の中の健康が全身の健康に影響を与えるというお話は、すでにご存じの方も多いと思います。しかし、噛むことそのものが、運動能力に影響を与えることは、あまり知られていないようです。
私が研究しているのは、スポーツ歯科という分野です。スポーツ選手はもちろん、スポーツ活動をする人の健康や安全、運動機能などと歯の関係をさまざまな実験から調査し、アドバイスや管理、時には治療、マウスピースの提供もしています。
実験からはいろいろなことがわかります。たとえば、ゴルフの選手の場合には、ボールを打つ瞬間に軽く噛んで下あごを固定するとミート率(ボールに対してどれだけ効率的にエネルギーを伝えられたかを測る指標)が上がる傾向があるとか、瞬間的な力が必要なフィギュアスケートの選手はスピードスケートの選手より競技中の噛みしめが強い、などです。噛むことと筋肉とは密接な関係があり、それが運動機能にもつながるのです。
スポーツをしていなくても、噛むことと筋肉の関係を知る機会はあります。重い荷物を持ち上げる時には、誰しも無意識のうちに歯をくいしばっているはずです。歯をくいしばると、あごのあたりにある咬筋が収縮すると同時に、ふくらはぎの筋肉(ヒラメ筋)とすねの筋肉(前脛骨筋)の収縮も強くなります。この2つの筋肉は、本来なら一方が縮めば一方が延びる関係なのですが、ここぞという時には噛みしめによって団結し、筋肉をパワーアップさせて、本来は可動性が高い関節をがっちり固定するのです。このように、噛むことによって全身の筋肉は緊張し、姿勢を保つように働きます。散歩中、何かにつまずき態勢を崩した時にも、しっかり噛む力があればひどい転倒にならずにすむ可能性が高くなると考えられます。

噛み合わせも大切です。上のテストをすると、噛み合わせとバランスの関係を実感できますが、これは歯をなくしてしまった場合にも当てはまります。入れ歯をしていない場合としている場合の平衡機能や姿勢を調べると、入れ歯をしているほうがよい結果となっています。正しい噛み合わせは、バランスのよい姿勢を保つことにつながるというわけです。
入れ歯をするのはおっくうだと避けている方もいますが、それは生活上のリスクを高くしているのと同じです。日ごろから歯の健診を怠らず、入れ歯が必要であれば面倒がらずに口に合ったものをつけて、散歩や運動を楽しみ、いつまでも元気に生活していただきたいと思います。

武田友孝

東京歯科大学口腔健康科学講座スポーツ歯学研究室准教授。日本オリンピック委員会強化スタッフ。スポーツ選手に対して歯学から支援し、マウスピースの開発にも取り組む。

8020さんのご紹介:1日3回の歯磨きと手作りの食事で健康維持

櫻井艶子さん

年齢:83歳 歯の数:29本

食べ物の好き嫌いはまったくなし。庭先の家庭菜園で採れた旬の野菜を中心に三食ともすべて手作り。得意料理はハンバーグと春巻きで、好物は秋田県の名産漬物「いぶりがっこ」。お煎餅は、「硬ければ硬いほうが好き」という櫻井艶子さん。
「とくに運動をしているわけではないけれど、お陰さまで元気ですね」。ゆったりした話しぶりながら、その毎日は忙しい。
月に3回の料理教室では、その日に習った料理で「これは!」と思うものは自宅でもすぐにチャレンジしてみる。
陶芸教室も月に3回のレッスンで、すでに4年のキャリア。笠間焼で有名な笠間が近いことから、仲間たちと出かけてさまざまな作品を見ながら次の作品の構想を膨らますのも楽しみの一つだという。お嫁さんから頼まれて食器を作ることもあるそうで、家族にも喜ばれているが、最近は「余計なものをためていては万一の時に家族に迷惑をかけるから、気に入ったもの以外は処分しています」と潔い。
3つ目の趣味はコーラスで、「精一杯歌った後は、歌が幸せを運んでくれるような気がします」と、心身ともに充実した暮らしぶりだ。
もちろん、歯の手入れも怠らない。毎食後は必ず1本1本丁寧にブラッシングする。時間はかかるが自分のためにしているので、特別なことではないそうだ。

NHK出版 NHKテキスト「きょうの健康」2017年6月号掲載