NHKテキスト「きょうの健康」にて掲載された、「めざせ8020」の記事をお届けいたします。

めざせ8020 第9回

口周りの筋トレで体も健康に

食事中、食べ物が口からポロッと落ちてしまう。そんなことはありませんか。そうしたことが起こるようなら、口の周りの筋肉が弱っていると考えられます。
口の周りにはさまざまな筋肉が張り巡らされており、これらの筋肉が連動して動くことで食べ物を噛み、飲み込むことができます。筋肉が弱ってしまうと、むせたり、食べられないものが多くなったりし、結果的に全身の老化をも早めてしまいます。筋肉は使わないと衰えてしまうという性質を持っています。これは口周りの筋肉も同じで、まずは日頃から使うことが重要です。
食べ物を口に入れると歯で噛んだり押しつぶしたりしながら、唾液と混ぜて飲み込みやすい塊にします。この時の唾液の働きは大変重要で、唾液が少ないと食べたものがまとまらず、口からこぼれてしまいます。唾液を出すには、しっかり噛むことが大切です。そうすれば唾液腺が刺激され。唾液がたくさん分泌されるようになります。
また、この時、唇を閉じることも重要です。唇を開けているのは筋肉が弱っている証拠。もちろん、それではしっかり噛むこともできません。唇は閉じて筋肉を鍛えましょう。
もう一つ気を付けたいのが食べる姿勢です。背筋を伸ばし、少しあごを引いた姿勢で噛むと、口の中や口周りの筋肉をより動かすことができます。猫背で食べると下あごが前にずれることもあり、そうなると前歯で噛むようになり、奥歯でしっかり噛むことができなくなってしまいます。
さらに、左右の歯でバランスよく噛むことも大切です。両方の歯で噛むことで、口周り全体の筋肉を鍛えることができます。
ところで、このようにしっかり噛むためには、歯がなくてはいけません。もし歯をなくしているなら、入れ歯によって筋肉を強化し、噛めるようにする必要があります。
余談ですが、入れ歯にはほかにも利点があります。もともと歯とあごの骨の間には歯根膜という組織があり、脳へさまざまな刺激を伝える働きを担っています。たとえば、記憶の保存に関わるといわれる海馬を活性化させるという報告があります。ところが、歯が抜けると歯根膜もなくなってしまいます。そこで入れ歯をすると、歯ぐきの下にある骨膜が歯根膜の代わりになって、脳に刺激を伝えてくれます。
口周りの筋肉を鍛えて、しっかり噛むことは、中高年にとって全身の健康に関わる非常に大切なことです。

普段の生活でも、図のような体操をすると口周りの筋肉を鍛えるのに効果的です。健康の秘訣は口の筋トレにあり。ぜひ、日課にしていただきたいと思います。

阿部伸一

東京歯科大学解剖学講座教授。台北医科大学口腔医学院(台湾)臨床教授。摂食、嚥下機能についての講演などでも活躍。

8020さんのご紹介:2本の歯ブラシで1日3回ブラッシング

吉田直弘さん

年齢:82歳 歯の数:28本

「私が子どもの頃は、歯医者さんに待合室なんてものはなく、畳敷きの部屋で待っていたものですよ。ある時、そこにあった本を読むのに夢中になってしまい、祖母が探しにきたことがありましたね。先生はテレビで相撲を見るため、先に帰ってしまってました」
吉田さんの歯にまつわる話はまだある。家業を手伝い始めた当時、近所のお年寄りが絹糸で歯の間を掃除しているのを見て、さっそく真似をするようになったのだという。「小間物屋の友だちからたくさん絹糸をもらってね」。60年以上も前にデンタルフロスを使っていたというわけだ。そして今では、2本の歯ブラシを使い分けている。1本は歯を磨くため、もう1本は歯ぐきをブラッシングするための柔らかいブラシ。1日3回、毎食後に磨く。
そんな吉田さんの趣味は、好きな絵画を新聞や雑誌から切り抜いて、はがきフォルダに整理すること。レイアウトすることで、そこには切り抜きとは思えない世界が広がっている。それも、むやみに増やしたりせず、好きなものにどんどん差し替えていく。寝る前に見ると気持ちが休まるという。読書は今も好きで、好きな本は何度でも読み返す。最近は江戸川乱歩の『探偵小説四十年』がお気に入りだ。
ところで、近頃は口のなかに違和感があれば、すぐに歯科医院に行く。「そのほうが治療が楽」だからだそうだ。

NHK出版 NHKテキスト「きょうの健康」2017年7月号掲載

めざせ8020 第10回

心身の健康づくりに口周りの筋肉強化を

「笑う門には福来る」ということわざがあります。また、フランスの哲学者アランは「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」といっています。どちらも笑うことが幸せをもたらすというのですが、さて、これは本当なのでしょうか。
こんな実験があります。MRIで、「幸福な気持ち」を感じながら笑っている人と、そうした気持ちもなく笑ってもいない人を測定すると、笑っている人は思考や感情などを司る前頭前野が活性化する反応が現れましたが、笑っていない人の脳にはそうした反応は見られませんでした。そこで、この無反応の人たちに笑った表情をしてもらいました。すると、前頭前野に「幸福な気持ち」を感じている人たちと同じような反応が現れました。たとえ感情が伴っていなくても、笑顔になると幸福な気持ちになるというのは本当だったのです。
私たちはある百貨店で大規模な笑顔の調査を行いました(※)。接客時の笑顔が大切とはいうものの、上司から強制されて無理やり笑うのは難しいものです。そこでまず、社員全員に笑顔トレーニングを実施しました。すると、うつや不安が軽減したという結果が出ました。さらに効果を高める方法を探るため、笑顔トレーニングと並行して6週間、1日4回通勤途中や休憩中にガムを噛んでもらいました。ガムを噛んだ人たちと、噛んでいない人たちを比べるとガムを噛んだ人たちでは、抑うつや不安、心身のストレスの低下がさらに有意に認められました。噛むことはストレスコントロールに重要な役割を果たしていたのです。
ところで、笑顔でいるためには口周りに筋肉がなければなりません。筋肉が衰えると口角は上がりません。口周りの筋肉を衰えさせないためには、噛み応えのある食事をとる、人と話をする、歌を歌うといったことが効果的です。下図のようなトレーニングをするのもおすすめです。

※2015年、三越伊勢丹グループで行った「笑顔トレーニング」。従業員500人に対して、①チームリーダーが笑顔トレーニングを積極的に実施した、②トレーニングを実施した、③トレーニングは実施しない、という3つのグループに分けて、21カ月間にわたって、意識がどう変わったかを調査。

筋肉が減るともう一つ問題が出てきます。それは、唾液も減ってしまうということです。唾液を分泌する唾液腺がしっかり働くためには、筋肉が必要なのです。唾液が減ると高齢者に多い誤嚥性肺炎を起こしやすくなります。噛んだ食べ物を塊にまとめ、飲み込めるようにするのに唾液は大きな働きをしています。
このように、口周りの筋肉は笑顔をつくったり、唾液の分泌を促したりといった大切な役目を果たしています。もちろん、しっかり噛んだり飲み込んだりするためにも重要です。口周りの筋肉を鍛えることは、心身の健康にもつながることを覚えておいていただきたいと思います。

斎藤一郎

鶴見大学歯学部教授。ドライマウス研究会代表、日本抗加齢医学会副理事長。鶴見大学では、ドライマウス外来やアンチエイジング外来を開設し新しい歯科医療を展開している。

8020さんのご紹介:パソコンを駆使して友人と交流

磯瑤子さん

年齢:82歳 歯の数:20本

自らを”検索魔“という磯瑤子さんの自宅のリビングには、最新のパソコンが据えられている。病院で処方された薬から、友人との会話のなかで疑問に思ったことなど、何でも調べてみるのだという。さらに、スカイプで海外に住む友人と近況を報告しあったり、フェイスブックに愛猫のたまちゃんの写真をアップしたりと、毎日の生活でパソコンの出番は多い。「スカイプだと、ついつい話し込んでしまって、1時間もたっていたなんてこともあるわね」。82歳にして、パソコンの腕は相当なものだ。
一方、普段の食事は「なんでもいいの」とこだわりがない。だが、20年以上も前からボランティアの会に所属してジャムや味噌を作っており、3年ほど前に会は解散したものの、今もジャム作りを続けて、ご近所や友人にプレゼントしている。甘くて新鮮なジャムもコミュニケーションツールの一つになっているようだ。
磯さんは下顎の奥に入れ歯を入れている。この入れ歯を作ってくれた歯科医師との出会いは25年前に遡る。以来、それまでの歯の悩みが嘘のようになくなった。ぴったり合った入れ歯で、不快なことは一度もない。すでに10年以上も微調整をしながら使い続けている。半年に1度、必ず受診して歯石を取り、口の中をチェックしてもらう。「研究熱心な先生なのよ」と、磯さんは全幅の信頼をおいている。

NHK出版 NHKテキスト「きょうの健康」2017年8月号掲載