めざせ8020 第20回

ワーキングメモリと注意力をアップさせる咀嚼

ワーキングメモリ(作業記憶)という言葉をご存じでしょうか。

ワーキングメモリとは、何かの作業をしている時に必要な情報を記憶から取り出して、それを一時的に覚えておく能力です。「2×3+2」という暗算問題が出た時に、私たちはまず「2×3」の答え「6」を出し、これを覚えておいて次に進みます。この「6」を覚えている時に使うのがワーキングメモリです。

前置きが長くなりましたが、私たちは課題を遂行している時の脳の状態を調べました。被験者に与えた課題とは、MRI装置のなかのスクリーンに「A、C、B、D…」などの順番で文字を表示し、2つ前や3つ前の文字と同じ文字が出たらボタンを押す、というものです。課題に取り組むうちに正答率と脳活動を反映する信号(BOLD信号)の応答は低下してきたのですが、途中でガムを噛むとその直後には成績が上がるうえに、BOLD信号の応答も回復しました。脳の血流の反応がよくなり、ワーキングメモリに関わる前頭前野などが活性化されていたのです。この実験から、噛むことは脳に対してワーキングメモリを促進させる働きかけをしていると考えられます。

そういう情報は、”もっと若い時に知っていればよかった“と思われる人もいるかもしれませんが、今でも役に立つ機会はあります。長時間本を読んでいると、集中力がなくなって効率が落ちてしまいます。これはワーキングメモリが低下していることも原因になっています。そんな時にガムを噛むと、ワーキングメモリの回復が期待されるのです。

もう一つ、私たちは噛むことが注意に及ぼす影響を調べました。この実験は、数秒から十数秒の間隔でスクリーンに映し出される矢印の方向を回答するというものです。単純に映し出されるのではなく、矢印が出る前に合図があったり、矢印がわかりづらくなる妨害が入るなど、注意をそらす仕掛けがされています。これも、ガムを噛んだ直後と何もしない場合の結果を比較すると、ガムを噛んだ時のほうが回答までの速度が短く、脳の注意力に関わる場所の活動が活発になっていることがわかりました。

残念ながら、噛むことによる効果は長続きするものではありません。とはいえ、噛むことによる脳の活性化は広い部分に及ぶうえ、若い人よりも高齢者のほうが広範囲であるという研究があります。また、噛まない人は認知機能が落ちているという研究も見られます。噛むことは、脳を働かせるためにはとても大切なのです。もちろん入れ歯であっても構いません。ただし、自分の口に合っていることが重要です。合わない入れ歯をしている人は歯科医師に調整してもらって、違和感なく噛めるようにすることをおすすめします。

平野好幸

千葉大学子どものこころの発達教育研究センター教授。大阪大学大学院連合小児発達学研究科教授・副研究科長。専門は脳科学。

8020さんのご紹介:目標はいつまでも歩けること

本多信子さん

年齢:82歳 歯の数:28本

「いつまでも歩けるように、そしておいしいものが食べられるように」。本多信子さんは、そのために運動と定期的な歯のクリーニングを欠かさない。

運動は週に4日、ヨガ、ピラティス、ダンベル体操、ルーシーダットン(タイの健康法)と、種類を変えて楽しんでいる。運動の前の30分のストレッチでその日の体調がわかるという。さらに、毎朝6時半からのラジオ体操もすでに30年ほど続けている。

夫と自分の両親4人の介護をし、歩けなくなることは自分にとっても家族にとっても大変なことだと痛感したのが、運動を始めたきっかけの一つになっている。

さらに、「好奇心旺盛なので、いろいろな人に会いたいし、やってみたいのよ」と、パソコン教室に通ったりコーラスをしたりと、ゆっくりしている暇はない。買い物の帰りには図書館に立ち寄り、本を眺めるのも楽しみのうち。昔読んだ本を読み返すのは、本多さんにとって至福のひと時だ。「最近は大活字本があるから、高齢者には助かるわ」。紙のにおい、手触り、文字の美しさ、そうしたものを感じるのも読書の楽しみだという。

万遍なく何でも食べ、添加物はできるだけ避けるよう手作りをするのが食事の基本。健康で暮らすには歯も健康でなければいけないと、近所の歯科医院で歯のクリーニングを定期的に受けている。フィットネスバイクを漕ぐ本多さんの足は軽快だ。

NHK出版 NHKテキスト「きょうの健康」2019年4月号掲載