「口から食べる」 何気ない日常を維持するために

食事の時に「口から食べる」ことは生き物にとって当たり前のことです。
ですが、その、当たり前のことが出来なくなる可能性があるということを皆さんは知っていますか?
普段はあまり意識することはないかもしれませんが、年をとると体の筋肉だけでなく、のどの筋肉も衰えていきます。のどの筋肉の衰えが進行すると、口腔機能が低下し食事も楽しめなくなってしまうかもしれません。
食事を楽しむことは、人生で重要な要素です。今日は、口から食事をとることを維持するための方法を、東京医科歯科大学・摂食嚥下リハビリテーション学分野教授の戸原玄先生にお話を伺いました。

のどの筋肉が衰えると、どのようなことが起こるのでしょうか?

のどの筋肉が衰えると、口の機能が低下し、食べ物や飲み物をスムーズに飲み込めなくなったり、頻繁にむせたりするようになります。
また、やわらかくて飲み込みやすいごはんや、パンなどの炭水化物を好んで食べるようになるので、栄養が偏ってしまい、さらなる筋力の低下を招きます。結果、体が弱って、さらに口も弱る……という風に、悪循環に陥っていくのです。

老化だけではなく何らかの疾患などの影響を受け、口の機能低下が進行して飲み込むことが難しくなると、「嚥下障害」で最終的に胃ろう(胃瘻)になるケースが少なくありません。
胃ろうとは、おなかに開けた穴にチューブを通し、直接、胃に食べ物を流し込む方法です。
栄養を摂取するという点において、私は、胃ろうは悪い方法ではないと考えています。しかし、食べ物は口からとるのが当たり前、というのも事実です。食べる楽しみも、口で味わってこそではないでしょうか。
胃ろうをつけていると、家族や友人と一緒に食卓を囲むことが難しいため、孤立感を抱くことにもなり、精神的にも落ち込むことが多くなります。気持ちが落ち込むことにつながりますし、人とのつながりが希薄になれば、認知症にもなりやすくなります。
これは、むせる頻度が高い人についても同じです。「むせるので恥ずかしい」と引きこもると、社会とのつながりが絶たれてしまいます。

つまり、口から食べることは、身体の健康を維持するだけでなく、人としての社会性を保つためにも、重要なのです。

口から食事をとることが難しくなるのは、どのようなきっかけで起こるのでしょうか?

原因として多いのは、脳卒中など脳血管障害の後遺症があげられます。また、複数の薬を服用している場合に副作用で起こることもありますし、認知症では全身の筋肉が硬くなって噛めなくなるということも起こります。
なかには、足の骨折で入院した方が安静にし過ぎてしまい、筋力が低下した結果、退院するときには嚥下障害を起こして胃ろうをつけた例もあります。

つまり、ある日突然、誰にでも起こりうるということです。

私は、嚥下障害の患者さんに、口を開けるための筋肉を鍛える「口開けトレーニング」を勧めています。

口を大きく開けて10秒キープ。そして口を閉じるーー5回を1セットとして、1日に3セット行います。これを毎日実行することで、嚥下障害の予防になりますし、口の筋肉が鍛えられたことで、自分で食事を摂れるようになり胃ろうを外すことができた人もいます。

「口開けトレーニング」はどんな効果がありますか?

「口開けトレーニング」は、口を開けるときに使う筋肉「舌骨上筋(ぜっこつじょうきん)」を鍛えます。舌骨上筋はあごの下にあり、口を開けるときには収縮してあごを引き下げ、飲み込むときには、舌骨をあごのほうに近づけます。

舌骨上筋が衰えるということは、口を開ける力も、飲み込む力も低下してしまうということです。つまり、「口開けトレーニング」で舌骨上筋を鍛えることは、口を開ける、飲み込む、といった食べる機能の向上につながります。

簡単なトレーニングですが、毎日続けることで、確実に効果が期待できます。早い人では2週間程度で効果が実感できています。
実際、「口開けトレーニング」は、多くの患者さんたちからたいへん喜ばれています。胃につながれたチューブを外して、再び口から食べられるようになった喜びはひとしおなのでしょう。

嚥下障害を起こさないために、ふだんから気をつけることはありますか?

今は、嚥下障害とは無縁と考えている人も、何もしなければ、嚥下障害までは至らずとものどの筋力低下は将来、必ず起こります。
簡単ですから、洗面や歯磨きのときなどに「口開けトレーニング」を思い起こして、ぜひ実践していただきたいと思います。

ほかにも、食べるときの姿勢が大事です。姿勢が悪く、背中が丸まって前かがみだと、呼吸が浅くなるため、むせやすくなります。
姿勢が悪い方は、太ももの裏側の筋肉「ハムストリング」をストレッチしたりすることを生活に取り入れてみましょう。

そして、最低でも1日1回はおしゃべりして、大笑いしてください。だらだら歩いても筋トレにならないのと同じで、普通に会話している程度では筋トレにはなりません。ぜひ、大きく口を開けて、笑うようにしましょう。

先生は、「人工喉頭」の開発についても取り組んでいらっしゃるそうですが、どのような装置なのでしょうか?

人工喉頭は、喉頭がんなどで声を失った人の発声を補助する器具です。これまでもいくつかの方法がありましたが、私たちが開発している人工咽頭「Voice Retriever」は、マウスピース形で、音を口の中で共鳴させて、口を動かすことで話せるしくみです。これを使えば、喉頭全摘や気管切開などで声を失った人が、声を取り戻すことができます。
今後も、嚥下障害やオーラルフレイルの患者さん、そのご家族のために、さまざまな取り組みを考え、実施していくつもりです。

戸原玄(とはら・はるか)先生

東京医科歯科大学 摂食嚥下リハビリテーション学分野 教授

1997年、東京医科歯科大学歯学部卒業。2002年、同大学院修了。嚥下リハビリテーションを勉強するために、藤田保健衛生大学医学部リハビリテーション科に国内留学。その後、米国のジョンズホプキンズ大学医学部に留学。東京医科歯科大学歯学部附属病院医員、助教、日本大学歯学部准教授を経て、2013年より現職。歯学博士。