食べることは生きるために必要なことであると同時に、大きな楽しみの一つでもあります。栄養学や食事学、調理学を専門とする、和洋女子大学の柳沢幸江教授は「食事を楽しみ、おいしく食べるためには、よく噛むことが不可欠」と話します。なぜ噛むことがおいしさを高めることにつながるのでしょうか? 柳沢先生に詳しいお話をうかがいました。

食の楽しみというと、まず「味覚」が思い浮かびます。それ以外の感覚として「食感」があり、「歯ごたえ」「舌触り」「喉ごし」などを指すそうですが、これらの食感は、食事とどのように関係しているでしょうか?

食べることの楽しみとは、視覚・嗅覚・聴覚・触覚・味覚の五感で感じる楽しさです。まず食べ物を口に入れる前に、「おいしそう」と感じるのは、視覚と嗅覚によるものです。つまり、目と鼻で楽しんでいるのです。口に入れてからは、咀嚼することで触覚による舌触りや歯ごたえ、そして味覚や嗅覚による味わい、さらに「ポリポリ」「カリカリ」といった噛む音を聴覚で楽しむことができます。

このとき、五感に不快と感じるところがあると、脳が「危険」と認識し、口に入れないようにしたり、吐き出させたりして、飲み込む前に食べ物を排除します。変なにおいがしていたら「腐っている」とか、硬すぎる物は「飲み込んだら危ない」などと、食べ物が安全かどうかの確認を瞬時にしているわけです。

口に入れてからは、咀嚼が重要な役割を果たすということですね。では、噛み方によって、味覚や触覚での感じ方は変わりますか? 食べることをより楽しめる噛み方があったら、教えてください。

歯には、「歯根膜(しこんまく)」といって、歯ごたえを判別するセンサーがあります。舌や口腔粘膜にも触感を感じるセンサーがありますが、歯根膜は部位により感度が異なります。特に、噛み切る役目をする前歯の歯根膜は敏感で、硬さ・柔らかさ・噛みごたえなどの触感は、前歯で噛んだときにより一層楽しむことができます。

また味は、主に舌にある「味蕾(みらい)」という器官で感じます。味蕾が多く存在する有郭乳頭(ゆうかくにゅうとう)や葉状乳頭(ようじょうにゅうとう)は、舌の奥のほう(奥歯の近く)に分布しています。そのため、奥歯でしっかりよく噛むと、唾液に溶けた成分が乳頭の奥の方にある味蕾を刺激するので、味わいが増し、持続的に味を感じることができます。

「歯が抜けて入れ歯にすると、何を食べてもあまりおいしくない」という話をよく聞きますが、それは噛む機能を十分に果たせなくなるからです。歯根膜は歯の根の周りを取り巻く薄い膜ですから、歯が抜けると歯根膜もなくなり、触感が鈍ります。また、奥歯が抜けると十分に噛むことができないので、味蕾への刺激も減ってしまいます。

つまり、いつまでもおいしく食べるためには、〝自分の歯でよく噛むこと〟が最も大切といえます。

よく噛むための工夫、気をつけるべき点などを教えてください。

調理法を工夫すると、よく噛むことや噛む機能を十分に活用することにつながります。その際に大切なのが、「噛みごたえのある食材」「切り方」「加熱時間」「水分量」の4つです。

ゴボウやレンコン、乾物などの食物繊維を多く含む食品や、弾力性のあるタコや肉などは噛みごたえが大きいので、これらの食材を積極的に食事に取り入れると、自然と噛む回数が増え、噛む力を高めることができます。
また、食材を大きめに切ると、細かくしないと飲み込めないので、噛む回数が増えます。

野菜は加熱時間が長いほど柔らかくなるので、歯ごたえを残すためには生で食べる野菜を取り入れるか、加熱時間を短くするなどの工夫をするとよいでしょう。

食べ物を飲み込むためにはなめらかさが必要で、唾液がその役割をしています。よく噛むと唾液が分泌されて飲み込みやすくなるのですが、水分の多い食べ物は水分が唾液の代わりになり、十分に噛まなくても飲み込めてしまいます。よく噛むためには、汁やタレがたっぷりという調理法は避けたほうがよいでしょう。

よく噛むことが食事をおいしく楽しく食べることにつながることはわかりましたが、健康とはどのように関連しているのでしょうか?

噛めない状況が続くと、食べるための筋力(咀嚼筋)が弱まり、噛む力が低下します。すると硬い物が食べにくくなり、柔らかい物を好むようになるので、ますます咀嚼筋が弱まり、唾液の分泌量も減ります。お年寄りが口の渇きを訴えたり、食事中にむせたりするのも、噛む力や飲み込む力の低下が大きな原因の一つです。

逆に、よく噛むと味わいが増して早く満腹感を得られるので、肥満予防にもなります。これまで行った実験でも、よく噛んだグループのほうがエネルギーと脂肪の摂取量が低いことがわかりました。

日常的に噛みごたえのある食品をよく噛んで食べることが、健康につながります。食事を楽しみながらよく噛んで、健康の維持に努めましょう。

柳沢幸江(やなぎさわ・ゆきえ)先生

和洋女子大学家政学部長・健康栄養学科 教授
博士(栄養学)、管理栄養士

1984年女子栄養大学栄養学科卒業、92年女子栄養大学大学院博士後期課程修了、博士(栄養学)を取得。94年から和洋女子大学講師、助教授を経て、2007年同大学家政学部教授。16年に同大学家政学部長。よく噛んで食事をすることの大切さを栄養的視点、食事学的視点から研究を続けている。日本咀嚼学会、日本摂食嚥下リハビリテーション学会、日本家政学会、日本調理科学会などの評議員も務める。著書に『そしゃくで健康づくり 育てようかむ力』(少年写真新聞社)などがある。