「噛むこと」と「飲み込むこと」の大切さ

食べ物を噛んで、飲み込む。普段の食事で無意識に行っていることですが……
噛む力が低下すると、メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群/以下、メタボ)を招きやすく、食べ物をうまく飲み込めなくなってしまう嚥下障害、さらには誤嚥性肺炎も起こしやすいといわれています。噛む力がどうして病気とつながっているのか? その関連性について、噛む力が身体に及ぼす影響を研究されている新潟大学大学院医歯学総合研究科教授・小野高裕先生に、お話をうかがいました。

噛む力の低下が、メタボや誤嚥性肺炎を招くというのは、どうしてなのでしょうか?

ここでいう『噛む力』とは、食べ物を噛み砕く力のことをいいます。人はうまく噛み砕けなくなると、軟らかい食べ物を好んで食べるようになってしまいます。軟らかい食品は、炭水化物や糖分が多く含まれています。逆に噛みごたえがあるのは、野菜や肉ですね。軟らかい食品ばかりを好んで野菜や肉を避け偏った食生活を続けていると、栄養バランスが崩れてメタボを招くのです。そして動脈硬化性疾患や心筋梗塞、脳梗塞などのリスクが高まります。
特に高齢になると筋力や感覚の低下もあり、通常食道を通って胃に入る食べ物が、誤って気管に入って肺へと吸引されることで誤嚥性肺炎を引き起こしてしまうことがあります。単に年齢が原因かというと、そうではありません。人は食べ物を食べるとき、噛んで食べ物を細かくするだけでなく、唾液と混ぜ合わせて飲み込みやすい形に加工します。こうしてできたものを「食塊」といい、噛む力が弱まると適切な「食塊」ができていないため、うまく飲み込めず気管に入ってしまうのです。

「よく噛む」とは、一口食べたときの噛む回数が多いということですか?

回数ももちろん大事な要素だと思います。もう一つ大事なことは、うまく食塊ができていることです。「何回噛んだか=量」、「どれだけ噛み砕けるか=質」といえ、歯科ではまず『質』の部分を「咀嚼能力」として評価します。
私たちの研究では、特別な硬さのグミゼリーを30回噛んでもらい、噛み砕かれたグミの表面積により咀嚼力を10段階にスコア化したものを用いて、咀嚼能力を客観的に計測しています。このスコアが大きくなるほど、細かく噛み砕くことができていて、咀嚼能力が高いといえます。歯が抜けて食べものをうまく噛めない高齢者では咀嚼能率の低いことが多いのですが、若い人でも幼少期から軟らかいものばかり食べていた人は、強く噛むことをしないため、歯ごたえのあるグミを口に入れても4分割(スコア2)ほどにしかならないことがあります。咀嚼能力は、年齢や歯の数だけで決まるものではないんですね。

咀嚼能力が低い人ほど、病気になるリスクが高いと考えていいのでしょうか?

一概には言えませんが、私たちが大阪大学や国立循環器病研究センターとの共同研究でとった約1800人の研究データでは、咀嚼能力の低い人のほうがメタボになりやすい傾向にありました。その中で注目すべき点は、明らかに咀嚼能力が低い人たちのグループより、その一歩手前の人たちのグループのほうが、メタボ罹患率が高かったということ。おそらくよく噛めないことを自覚している人たちは、調理や食べ方を工夫していて、咀嚼能力が低いにもかかわらず自覚のない人たちは、メタボになりやすい食事を続けているためと考えられます。
一方、「何回噛んだか=咀嚼の『量』」については、「早食いの人は肥満になりやすい」や「糖尿病の予防や改善にはゆっくりよく噛むことが大事」と言ったことは以前から言われていますが、十分な科学的根拠が出されていませんでした。最近私たちは、耳にかけるだけで一口ごと、食事ごと、一日当たりの咀嚼回数計測できる、スマホと連動した機器を開発しています。やがて、こうした機器を使って「噛む習慣」を改めることから、効果的な食育、ダイエット、生活習慣病予防ができると期待しています。
健康を左右するのは食の適量とバランスであるこというまでもありません。同時に重要なのは、『質』的にも『量』的にもよく噛むことです。「噛むこと」が「見える化」できる時代が来ましたので、まず自分の咀嚼について知っていただき、よく噛んで食べることを心がけ、日々の食事を楽しみながら健康になっていただきたいと思います。

小野 高裕(おの・たかひろ)先生

大阪歯科大学 高齢者歯科学 専任教授
(2023年7月現在)

1983年、広島大学歯学部卒業。1987年、大阪大学大学院歯学研究科修了。2000年、大阪大学大学院歯学研究科顎口腔機能再建学講座助教授(後に准教授)。2005年から大阪大学臨床医工学融合研究教育センター助教授(後に准教授)を兼任。2014年、新潟大学医歯学総合研究科教授に就任、2023年、大阪歯科大学高齢者歯科学専任教授に就任、現在に至る。